手術49日目「退院日決まる」
[まえおき]
わたしが左股関節の回転骨切り術という手術をした入院中の日記を1日1記事書こうと思います。タイトルが手術○日目みたいになりますが、もう退院しているのでそこんとこご心配なさらず。
右足の手術をしたときの日記は、こちらのまんがになります。
はじめの日
まえおき終わり。
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寒いですね〜〜〜
風邪やインフル、気をつけましょう。わたしは無職のくせに両方罹りました。働いてた時の方が丈夫だったなあ。
さて過去の話いきます。
退院日が決まりました!
主治医が「片松葉、どう?」と聞きにきたので
「全然OK〜おれっち楽勝〜明日にでも退院できるう〜」
という趣旨のことを丁寧語で言ったところ、快諾してもらえました。
手術後7週目を目前に縁起がとても良ろしい。
およそ一週間後に退院を控え、気分がアガります。
嘘です。普通にFF13やって寝ました。
おっさん以外のキャラのクリスタリウムレベルをマックスにして、コンビ技でアダマンタイマイを倒せるようになってきました!右足、左足、本体という順序で攻撃するやつです。わたしは、ファング、スノウ、ライトニングで挑戦してました。
でもまだ成功率が低い・・・強い武器を手に入れた方がいいのか!?
モブハントもいい感じに埋まって来てます。退院まで完全クリアなるか!?
なんなん
イエーイ!元気な無職です!コンニチワ!
股関節の経過も良さそうで、実は数週間前に、主治医から「もう働いていいよ」と言われたのです。
で、ワーイって思ってハローワークに行ったら、「とにかく就業証明書をもらってこい。それが無いと何も始まらない。」と言われたわけです。就業証明書とは、主治医から「この人はいままで療養に入って働けなかったけどこの日から働いてOKです!」と証明してもらう紙だそうです。ちなみにその日を境に傷病手当金はもらえなくなります。
で、その紙を書いてもらってハロワに提出するまでに数週間かかります。そんなわけでここ数週間、就職活動出来ない、失業給付ももらえない、完全に「無」の人になっています。
なんなん。これなんなん。
ハロワに行く、紙もらう、病院へ郵送する、数項目くらいの紙に記入してもらうのに数週間、代金払う、紙を病院から郵送してもらう、ハロワ行く・・・
Eメールでやれやーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
今わたしは、システムがあまりにガラパゴス故の無の人になってると思うと、とても腹が立ってきます。はよ就職したいねん。資格もやる気もバッチリあんねん。
だいたいなんで紙なん?
freeeの確定申告みたいに、○×とか中心のシステムとかにしとけばいいじゃん。それをハロワから直接主治医にメールして回答を得ればいいじゃん。そういうシステムを作ってSEの雇用とか促進すればいいじゃん。
働きたいのに働けない人は、日本にたくさんいるらしいですが、こんな状態で働けないって聞いた事もないし情けないです。
ヒマでしゃーないので、友達と遊んでばっかり居ます。だんなや後輩の送り迎えとかしてます。むしろ大学生と遊んでいます。来週も来月も大学生ばっかしの空間にいます。大学生よりヒマな無職アラサーです。
ほんとに、遊んでくれる人がありがたい。ありがてえなあ。多分遊んでももらえなくなったら、気が狂うと思います。誰もお前を愛さない。
あとヒマだからfreeeで確定申告早めに進めてみたら、色々入力し終わった最後に「出力や申告するには有料プランに入ってください、千円。」と言われたのも不条理を感じました。千円じゃねえし。いやこんな形じゃなかったらね、千円くらい払いますけど、最初から言わずにね、無料でやれる体にしておいて最後の最後に千円って言われたら腹立つじゃないですか。
以上グチでした。おわり。
手術47日目「片松葉になった」
[まえおき]
わたしが左股関節の回転骨切り術という手術をした入院中の日記を1日1記事書こうと思います。タイトルが手術○日目みたいになりますが、もう退院しているのでそこんとこご心配なさらず。
右足の手術をしたときの日記は、こちらのまんがになります。
はじめの日
まえおき終わり。
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左股関節の手術から1ヶ月半あまり、やっと片松葉を手に入れた!
通常の手術後の経過として、手術した方の足に、2週目何キロ、3週目何キロ・・・とだんだん体重をかけていく。それである程度荷重をかけれるようになると、片松葉デビューだ。ワーイ。ちなみにこの経過は個人差とか医者のやり方とか関わってくると思うので人によって違うと思います。
片松葉のなにがいいって、持てるものが増えることだ。両手で松葉杖を持ってたら、鞄はリュックか肩掛けじゃないとダメだし、何も持てない。あと歩きながらなんかするということができない。これは片松葉でも難しいけど。
例えば、会計カウンターに入院費を払いにいくにしても、松葉杖をついていたら、松葉杖をついたままカウンターまで行って、そこからあいさつをして、松葉杖をどこかへたてかけ、カバンを出して、お金を出して、支払って、財布をしまって、リュックをちゃんと背負ってからじゃないと出発出来ない。
普通は、カバンからものを出す動作とかは歩きながらやれるので、財布を出しながらとか、最初から手に持ってカウンターに行けるし、しまう動作もカウンターでやる必要はない。さっさと用を済ませれるのである。もうこれが辛い。受付の人や後ろに並んでる人から「さっさとしろ」と思われてそうで辛い。もとがせっかちなのもあって自分でもイライラする。
とにかく片松葉を手に入れたので、いよいよ退院の日どりを決める日も近いと思うと嬉しい。
手術46日目「おいしい秋」
[まえおき]
わたしが左股関節の回転骨切り術という手術をした入院中の日記を1日1記事書こうと思います。タイトルが手術○日目みたいになりますが、もう退院しているのでそこんとこご心配なさらず。
右足の手術をしたときの日記は、こちらのまんがになります。
はじめの日
まえおき終わり。
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病院の食事はマズいという人もいるけど、わたしの入院していたところはそんなでもなかった。元々薄味が好きだからイケたのかもしれないけど。
彩り豊かで、毎日よくこんなに献立思いついて作ってくれるなあと感心していた。しかも、メニューについて聞きに来てくれる管理栄養士がどの子も若くてかわいい。職場環境良さそう。
肉は、なんだろう、これ、どこの部位?みたいな質だったけど、季節柄か魚が超ウマかった。油がぎんぎんに乗っている。サバやシャケやばい!!
体の痛みがだんだん落ち着いてくると、余裕をもってごはんを食べることもできてきたし、季節を感じることもできてきた。一歩一歩ですねえ。
秋〜最高だぜ秋〜
手術45日目「泣いたこと」
[まえおき]
わたしが左股関節の回転骨切り術という手術をした入院中の日記を1日1記事書こうと思います。タイトルが手術○日目みたいになりますが、もう退院しているのでそこんとこご心配なさらず。
右足の手術をしたときの日記は、こちらのまんがになります。
はじめの日
まえおき終わり。
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調子がよくなってきたので、心に余裕が出て来たのか、闘病をはじめた頃泣いた事を思い出した。
あの頃は、仕事をすっぱり辞めて(どちらかというと肉体労働だったので休職という選択肢がなかった。股関節とは一生つきあっていくので手術がうまくいったとしても以前の職業には戻れなくなった。まあ元々そのつもりというのもあって、そのためにとった資格もあるんだけど。)、アラサー完全無職。まあ結婚してるのでいちおう専業主婦か。むなしい。たいした事ないっちゃないけどやっぱりキャリア的ななにかがあるっちゃあるではないですか。それがぶっつり切れる不安があった。
そんで、その頃にすごーーーーーく困ってたのが肩こり・首こり・頭痛だった。
どんな姿勢でも、肩や首に違和感があって、吐き気がすることもあった。特に病院によくある待合の固い椅子なんて座っていられなかった。
で、この頃は、診療所的な小規模な病院に紹介されて、大学病院的な大病院に行っていた。でも、大学病院では股関節ばかりに注目して、肩こりや首こりの話をしても
「あー、そーなんだー、ふーん」
くらいで流された。
仕方ないので元の診療所に行ったら、大病院を紹介してもらった時の親身なお医者さんは出てこなくて、なんかおじいちゃん先生が出て来て
「なんで大病院に紹介したのにまたウチにきたの?コリ?大病院で見てもらえば?」
みたいな態度をとられた。
肩と首を!!お前の診断で!!ちょっと理学療法士にもんでもらったりしたらよいのだけども!!!!
いやよく知りませんよそんなこと、専門家じゃないので。
でも、それで、コリとどうやってつきあっていったらいいのか全く分からなくなって絶望した。折しも雨が振っていた。
わたしは自宅のベランダに出て、雨の中名古屋市の健康相談みたいなところを検索して電話した。今思えば、ちょっと間違ったところにかけていたかもしれない。
わたし「あのう、症状があって、でも病院で見てもらえないんですけども」
窓口のおばはん「あなたね、病院の先生が言ってることが正しいに決まってるでしょ、今はちゃんと病院に通って治すことだけを考えるんだよ!」
わたし(えっ・・・説教・・・?)
その後も、窓口のおばはんは延々と説教をしてきた。
わたしは涙がどんどんどんどん出て来た。
闘病生活に入ることへの不安、
肩コリ程度の症状で苦しむ不安、
肩こり程度の症状を診てもらえない不安・・・
いっぱいいっぱいだった。いろんな不安が押し寄せて、わたしはババァの電話口でわんわん泣いた。
でもババァは「あんた泣いてる場合じゃないよ!」と説教を続けてくる。
なんて心の無いババァなんだと思った。
今思えば電話口を間違えたわたしも悪い。
でもそしたら、せめて担当窓口を案内してくれても良いではないか。
なんとか話を終え、電話を切ったら一気に死にたくなった。ベランドからの飛び降りを決めようか。
あっ、精神科いこ、って思った。
精神科の先生は、いつも優しく迎えてくれる。
「うーん、医者としてその態度はどうなんだろうねえ、でもねえ、整形外科の先生って、自分の専門外だったらよくわからないで終わらせちゃう人いるかも。」
みたいなことを言われた。
肩こりや頭痛は精神的なものから来てるかもしれない。原因は誰にもわからない。
いつもの精神安定剤の漢方をもらって帰った。
それから一年くらい経って、肩こり・首こり・頭痛は筋トレにより見事に消失した。
主治医に教えてもらった頭を四方から手で10秒ずつ押すというトレーニングもよかった。首筋が鍛えられるらしい。
筋トレは至高。
手術44日目「あれ?なんか・・・」
[まえおき]
わたしが左股関節の回転骨切り術という手術をした入院中の日記を1日1記事書こうと思います。タイトルが手術○日目みたいになりますが、もう退院しているのでそこんとこご心配なさらず。
右足の手術をしたときの日記は、こちらのまんがになります。
はじめの日
まえおき終わり。
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それは唐突に起こった。
「あれ?なんか先週よりラク」
この日は午前中1.5時間、午後1時間は運動をしていたけど、なんだか全然辛くないのだ。
なんでだろう。結婚式楽しかったから?マンネリ気分が解消されたから?それにしても筋肉は突然実を結ぶものである。突然体がかるーい!ワーイ!
なんか楽しい!ぜんぜんいける!本がすいすい読める!!知らん人とも会話ができる!!
なんかよくわからんが良かった〜!わ〜い!
手術43日目「外泊疲れた」
[まえおき]
わたしが左股関節の回転骨切り術という手術をした入院中の日記を1日1記事書こうと思います。タイトルが手術○日目みたいになりますが、もう退院しているのでそこんとこご心配なさらず。
右足の手術をしたときの日記は、こちらのまんがになります。
はじめの日
まえおき終わり。
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およそ一ヶ月以上ぶりのお外だったので、当然のようにつかれる。
でもいい結婚式だった・・・最高だった・・・幸せを反芻するだけで一日終わりそう。
ちなみに来週も予定があるので外泊する。外泊を経て少しずつステップアップしている感じがする。
でも、去年のことを思い起こすと家帰ってからもそれなりに憂鬱だ。
去年、右股関節の手術の後は、なかなか回復しなくて、左股関節の手術に至るまで結局一年近くかかってしまった。
家に帰っても、股関節が痛いのでヤル気がでない。脳みそは元気なのに、体がだるくて疲れきっているので、数ヶ月はほとんど何もしない日々を過ごしたと思う。
朝起きて、だんなの弁当を作り(これも調子が悪いとパスする)、朝ご飯を食べたらそれだけで疲れ果てて眠る、昼ご飯を食べて起きてると気持ち悪くなってくるのでまた眠る。病院へ行き、疲れてまた眠り、少し家事やって夜ご飯を食べたらもう死んだように眠る。これは・・・・おばあさんと同じ生活だ、アラウンドサーティーにして、既に40年後のような生活を送っている自分に衝撃だった。
退院したら完全回復ではなくて、このRAOという手術は実質骨折してるようなもんだから、それなりの日数をかけないと回復しない。全然痛みなし!完全回復!の状態になるまでは数年はかかるという。
脳みそは元気なので、このまま寝たきりみたいに生活してるとボケるんじゃないか?と思ってた。幸い、去年も趣味の音楽活動の宿題(40分の曲のスコアを書き起こす)とかがあったから、それなりに頭と体を使う事ができて、今のところもコミュニケーションに問題はないはず。
それにしても一年、闘病、大変だった。だから、左股関節の手術後も、回復はいつになるやら・・・と悩ましかったけど、果たして・・・