憂鬱なモネ展(名古屋市美術館)
平日にモネ展を見に行った。
同じく無職の夫と行った。
平日に美術館へ行くと、ケバい主婦か大学生しかいない。
夫はモネが好きだ。ひげもじゃのおじいちゃんが、あの優しい色合いで絵筆をとっていることを想像すると感動するという。
モネが所有していた睡蓮の池の情景や、大作「睡蓮」の下絵などがわりとあって見応えのある展示だった。
ただ、入場前から気になっていたのだが「それからの100年」とはどういう意味だろうと若干不安に思ってたけどやっぱり「モネが印象派を立ち上げてそれまでの写実的な絵画から自由な表現が出てくることになったんだよ〜ブイブイ〜つーか現代芸術見てこれ」っていう強引な展示だった。
モネが印象派を作ったのと
その影響を受けた人がポスト印象派、キュビズム、表現主義とかなんかいろいろやってあとモネの時は無かった写真や映像やいろんな印刷方法を駆使して色々な表現を発展させていったっていう話は
もう別じゃない?
それでモチーフがなんとか「睡蓮」だったりするから関連づけて展示してあるんだけど
モネの睡蓮の下絵の真横にバブリーな都会の夜景丸見えのバーの絵とかあっても「さっきまでの自然が美しいみたいなやつどこいったん」っていう高低差がすごくて一気に冷めた。
いじわるな私は思う。
「現代芸術だけではお客さん呼べないからモネと抱き合わせたのでは?」
と。
思ってしまった。お許しください。
でも児玉靖枝さんの「深韻 水の系譜」のシリーズはよかったなあ。
あと鈴木理策さんの映像作品も。
結果的にいい絵と好きになれる作品が見れたからいいんじゃない。
モネは昔、家に絵葉書を買ってきていたのを飾っていた。
その頃の私は漠然と絵を描いて生きたいな〜と思っていたけど、親に罵倒されまくってやめたのだ。私の部屋のモネの「印象 日の出」は、絵を描く私や、親に下手だからやめろと言われる私、なんかもうどうでもよくなってタバコ吸ってる私なんかを逐一見つめてきた。モネの朝靄の表現、空や海にうっすら反射するピンク色を見ているとそういうことを思い出して勝手にイヤな気持ちになった。「印象 日の出」の絵葉書は安物だったのでベロベロになって引っ越しの時に捨てたと思う。
最近数年ぶりに円形脱毛症を発見した。
人間不信なので、新しい環境になじめなかったらどうしようと常に不安なんだと思う。
永田カビさんみのある絵になってしまった。
おわり。