手術23日め「おばあちゃんのTEL」
[まえおき]
わたしが左股関節の回転骨切り術という手術をした入院中の日記を1日1記事書こうと思います。タイトルが手術○日目みたいになりますが、もう退院しているのでそこんとこ勘違いなさらず。
右足の手術をしたときの日記は、こちらのまんがになります。
はじめの日
まえおき終わり。
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わたしとだんなの祖父母を合わせると、わたしの母方のおばあちゃん以外はみんな死滅していることになる。そういうのもあり、わたしとだんなはそのおばあちゃんを大切に思っている。遠方にすんでいるけど、一年に数回は会っている。
おばあちゃんはとても面倒見がよく、入院したり季節の変わり目とかになったりしたらお金やものをくれる。そのお礼の電話などもよくしている。
この日も、お見舞金を送ってくれたのでそのお礼の電話をした。
おばあちゃんの話はとても長い。お見舞金どうもありがとう、という話題は30秒ほどで切り上げられ、最近知り合いの娘さんがコロンビア(多分)から帰って来て、コロンビア人(多分)のだんなとお好み焼き屋をひらいたという話をされた。店の名前は「ロペス」というらしい。
「その店名はコロンビア人のだんなの名前なの?」と聞くと、「んーたぶんそうじゃろうねえ〜」とか言われた。
コロンビア人(多分)、日本に来て日本の名物を作って商売をするとはすざまじい度胸ではないか。
気になってお店をネットで調べてみたら、多分これだという店が出て来て食べログ評価は3.5以上だった。悪くない。
わたしがあまりに電話で「ロペス」と連呼しているので、隣に座っていただんなの表情がだんだん怪訝になっていく。でもロペスについて話してるから仕方ないじゃん、ロペス・・・なぜお好み焼きなんだ・・・
おばあちゃんはとても元気がよく、85歳になって腰一つ曲がっていない。「今度クラス会を主催するから楽しみ」と言っていた。とんでもねえババァがわんさか集まってくるんだろう。考えただけでワクワクする。
おばあちゃんは戦時中、中学生のときに被爆している。それから戦後を迎え、結婚をし、子供を育てて、あっというまにおばあちゃんになったらしい。おじいちゃんがまたアクの強い人で、一緒に生活するのは苦労の連続だったと思われる。そのおじいちゃんも5年ほど前に亡くなり(わたしの結婚話がまとまる直前に死ぬというバッドタイミングな死だった。結婚式に出席してくれよ。)、おばあちゃんは一人で暮らしている。現在はそれがなかなか楽しいらしい。おじいちゃんがいなくなってから、一年ほどしょんぼりしていたけど、二年目くらいからものすごく元気になった。夜に電話をしても出ず、次の日に電話したら「お友達のジャズライブを見に行ってたんよ〜」というハイカラな回答を得た。基本的に家にいない。日中は病院とデパートをハシゴしている。
わたしは、体が悪くなって、アラサーにして無職で、自己嫌悪にたびたび浸るのだけど、おばあちゃんの生き方にいつもなんとなく元気づけられている。